集団的自衛権をめぐる問題は、憲法解釈との絡みで、すぐに「右」、「左」といったイデオロギー的な話に集約されてしまい、各陣営による不毛な論戦が繰り広げられることが多い。
本書は、そういったイデオロギー的なことはまったく意に介さず、刻々と変化を遂げる東アジアの軍事情勢の実情を示し、その対応策について、冷静な筆致で考察されているものとして高く評価できる。
日本の集団的自衛権の見解の歴史とは
日本における、集団的自衛権の見解は、「行使できない」ものとされていた。
本書でも引用されている1981年の鈴木善幸内閣の答弁書には以下の記述がある。
《集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによって不利益が生じるというようなものではない》
1981年というと、冷戦下であり、日本の安全保障上、脅威となる国はソ連であった。
ソ連が日本に本格的に行動を起こすとすれば、アメリカの戦略核が見え隠れする構造であった。
これは、ある意味単純であったといえる。
こうした状況下で、日本が集団的自衛権を行使しても、しなくても、日本に安全保障上の「不利益が生じるというようなものではない」とする政府見解は妥当なものと判断できる。
冷戦終結が日本に与えたものとは
だが、冷戦終結後、東アジアの軍事情勢は大きく変わった。
北朝鮮は1990年代よりミサイル開発を急速に進め、今や日本全域を射程に収める中距離ミサイルが開発済みである。
中国も近年では、覇権主義を強め、その軍事的脅威は東アジア諸国の悩みの種になっている。
言うまでもないが、中国の保有するミサイルも当然日本全域を射程に収めている。
また、あまり知られていないが韓国も、2012年に射程800キロメートルまでの弾道ミサイルを開発、保有することを決定し、九州・四国・関西までが射程圏内にあるのだ。
こうした状況において、日本の安全保障政策も、当然変更を迫られることになる。
冷戦後の防衛体制
集団的自衛権の行使は、これまで通り「不利益が生じるというようなものではない」という解釈で済むのか、改めて問う必要があるだろう。
本書は、集団的自衛権の行使を容認する立場から書かれたものだが、その理由を技術的側面から説明している。
冷戦終結後、軍事技術の発達には目覚しいものがある。
欧米諸国では、異なる国籍のイージス艦などをネットワークでつなぎ、攻撃に備える防衛体制を構築している。
これが「データリンク」という技術に基づく、国籍を超えた防衛上の仕組みであり、本書の要所となる部分である。
日本を取り巻く東アジア情勢の理解に
本書は、最新の軍事技術に照らし合わせた防衛システムの構築の必要性を訴え、日本の法制度とのあいだの乖離を指摘するものである。
また、「アメリカ太平洋陸軍の副司令官は、現役のオーストラリア陸軍少将である」、といった貴重な情報が満載であり、そういった面でも大変勉強になる。
東アジアの軍事情勢は刻々と変化している。
本書を読んで、日本の安全保障を今一度考えてみては、いかがだろうか。