生きるということは「あの頃の歌」が「懐メロ」になるということ

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derwiki / Pixabay

ああ自分も年をとったと思うのは、学生時代に流行した歌が、懐メロと呼ばれるようになった時である。その曲が紹介されるときに、「懐かしの」とか、「かつて」などという言葉がセットになって紹介され、さらにはいま売り出し中の歌手によってカバーされたりすると、いやおうもなく時の流れを感じる。そして世の大人と呼ばれる年齢の人々は、このような時のうつり変わりを皆体感して生きてきたのだということを思うのだ。

音楽は、記憶と密接に結びついているものである。あの時あの歌を一緒に歌ったとか、あの子はこの歌が好きだったように、思い出と音楽とは、あたかもコインの両面のようにぴったりと重なり合っている。そして「あの頃の歌」に誘われるがままに、あれこれと昔を思い出すのである。

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なぜ体感する「時の速度」は、年齢によって変化するのか

ここで、話を時間全体に広げてみたい。

毎日を追われるように過ごしていると、1年や2年という時間は、飛ぶように過ぎてしまう。これが、世の大人の実感ではないかと思う。いま思うと、小さいときは、それはそれは時がたつのが遅かった。それが20歳を過ぎて社会に関わりだしてくると、それまでのことが嘘だったかのように、時の進行が早くなるのである。もちろん、時の歩みそれ自体のスピードが増すのではない。単にそう感じるようになるのである。

では、なぜ時がたつのが早く感じるのか。理由は簡単で、分母となるだけの時を、多く過ごしているからである。7歳の子どもにしてみたら1年は全人生の7分の1だが、35歳の大人にしたら、たった35分の1である。この差は大きい!要するに、世の大人たちは、子どもよりも何倍も早く時の流れを感じているというわけだ。

そう考えると、この世界は、さまざまな時間感覚をもった人々が、身を寄せ合って暮らしているということになる。同じ時を生きているのに、その体感速度が異なるなんて、なんだかとても面白い。

「あの頃」に帰れずとも、思い出せばいい

それにしても、時の流れは容赦がない。時間は、誰も止めることが出来ないのである。どんどんと流れゆき、「今」という時は、必ず「あの時」になってしまうのである。時間ばかりは、どんな権力者やお金持ちであっても、思い通りにすることは出来ない。見ることも出来なくて、形もないのに、時はこの世界のすべてをつかさどっているのである。

だが、そんな不可逆的な時の流れを遡行できる能力を、人間は持っている。もちろん過去の時間そのものを取り戻すことは出来ないが、過去を思い出すことによって、そのいくばくかを追体験することは出来るのだ。その際には、前述したように音楽は大きなちからを発揮する。あたかも再び、またその時が再びめぐってきたかのような喜びを、一瞬にして味わうことが出来るのが音楽なのである。

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