わたしは読書が大好きだ。暇さえあれば、いつも本を読んでいるか、面白い本はないかとまだ見ぬ名著を探している。忙しい毎日が続いて、なかなか本が読めないと、げんなりとさえしてくるほどだ。一人で好きな本を読みふけっているときが、もっとも幸せな時間である。わたしはとにかく飽きっぽい性格なのだが、読書だけはずっと続いているので、よほど性にあっているのだろう。
今日は、わたしが読書について、素晴しいと思うところを挙げて、その魅力を述べてみようと思う。
自分の思い通りのやり方で、人の考えに触れることが出来る!
読書における最大の利点は、自分ひとりで学べる点である。
同じ物を学ぶにしても、これが学校やセミナーといった場合、自分以外の人々が必ず介在することになる。
まず、不可欠なのが先生や講師といった「教える」立場の人物である。さらには、自分以外の生徒や聴講者も存在する。そのような情況でさまざまな話を聞くことになるわけだが、これがなかなか自分にぴったりの学びになるかというと、そうでもない。
何しろ、話し手はこちらの意志とは関係なしに、話をしていくのである。要するに、内容が難しいからもう少し具体例を挙げて説明してほしいとか、前置きはいいから早く本題に入ってくれないかなどと思ったところで、絶対にそんなことは出来ないのである。解らないところやもう少しじっくりと考えにふけりたいと思ったとしても、とっとことっとこ、話が先に進んでしまうのだ。要するに、学校の授業や講演会、あるいはセミナーといった空間は、完全に受身の状態で学ぶことになるのである。
だが、これが本による学習だったらどうだろう。解らないことがあったり、自分なりに内容をまとめてみようと思った時に、さっと本を伏せて、じっくりと考えることが出来るのだ。さらには他の本を参考にしたりネットにアクセスすることで関連情報とつき合わせることによって、更なる深い学びにつなげることも可能である。つまり、読書による学びは、受け手が持っている自由度が高いのである。これは、学ぶ側が主体に立てるということを意味する。
途中でやめても怒られない
その際たるものとしては、ああこの本のテイストは自分には合わないなと思った時に、即座に読むことを中断ことが出来ることだろう。もしこれが本人を目の前にした講演会やセミナーだったらどうだろう。講演会に出席して、ああこれは失敗だと思うことは、ままあるものである。そのような時に、さっと席を立ち上がって退出することは、なかなか出来ないだろう。だが、読書においては、それが可能なのである。
本は最高のメディア!
以上のことを踏まえると、読書は、もっとも贅沢な学習や娯楽のためのメディアであるのではないだろうか。たった数百円から数千円の投資で、自分中心で新しい知見に接したり、楽しい物語に身をゆだねたり出来るのである。こんなに贅沢なことは、他にはないではないか!