長年に渡って「ひきこもり」の人たちを支援してきた著者によるルポルタージュである。
本書は、「ひきこもり」から家族のあり方を考えたものである。
著者によれば、「ひきこもり」は、自分に課す規範から自由になれないことが原因だという。
自分に課す規範とは、自分を縛る内面的な価値観と言いかえることができる。
こうした自分の規範や価値観をつくりあげるのが、多くの場合、家庭なのである。
家庭のあり方が、自分の規範や価値観をつくりあげるというのは正鵠を得ていると思う。
第三章で著者自身が、自分の人生を振り返り、なぜ自分が「ひきこもり」に興味を持つようになったのかを、考察している。
こうした意味で、自分の家のルーツを知る、というのはとても大事なことだ。
大抵、著名な学者や作家の先祖を調べてみると、それなりの階級の家に生まれた人が多いことに気づく。
高学歴な人の先祖には武士が多かったり、経営者の先祖には商人が多かったりするものである。
著者自身の場合を示すと、自分の家の文化を気づいたのは祖父だったという。
祖父は、祖父の祖父(高祖父)に育てられた。
高祖父は、武士だった。
元武士の家庭は高学歴な家庭が多いが、著者の家系もその例に漏れない。
祖父は帝国大学に学び、内村鑑三が主宰する無協会主義の研究会に入り、キリスト教に触れ、信徒となったという。
祖父の規範となっていたのは、自分を育ててくれた元武士の高祖父と、キリスト教であった。
祖父は教師となり、協会で小学校の訓導であった祖母と出会い、結婚した。
このように、キリスト教と教育を規範とする家をつくりあげたのだ。
父もそれを受け継いで、東大農学部を出て、はじめは農林省に入り、のちにサラリーマンになった。
母は経営者の娘で、やはりキリスト教徒の家に生まれた人だった。
そして両親は、キリスト教の縁で出会っている。
以上見てきたように、著者の家系を例にしても分かるように家系というのは、連鎖していくものである。
親世代は、家が受け継いでいる親自身に内面化された規範と、それに時代の価値観が加わり、こうしたもので子どもを縛ることになる。
家の規範というのは厄介なもので、まったくそういったことを意識せずに子育てをしても、必ず子どもに影響が出てしまうものだ。
そして、それが内面化され、葛藤することになる。
しばしば「ひきこもり」の人に立派な家柄の人が多いのは、その為である。
先祖や親戚一同が、優秀な大学を出て、社会的地位の高い職業についていると、学業や仕事で挫折したときに、普通の人とは比較にならないほど大きなショックを受けてしまう。
結果、自分の過剰なプライドが空回りして「ひきこもり」になってしまう、というパターンである。
本書は、これまでに著者が見てきた「ひきこもり」のケースを、具体的に紹介している。
そして、そのことから「家族」とか現代の「家族のあり方」といったものを考えるには、恰好の書といえるだろう。