翌日にはブログを開設したこと自体を忘れていたことも
わたしは飽きっぽいというか忘れっぽいというか、なかなか情熱が長続きしないように出来ているようで、何かをやろうと思っても、それが長続きすることがない。何事に関しても初期衝動ほど強いエネルギーはないと思うが、私の場合、はじめに取り掛かったらもうそれで満足してしまって、あとはキレイさっぱり忘れてしまう、ということが多いのだ。
実際、過去に無料ブログをいくつか作ってきたが、ものの見事に途中で放り出している。作った時点で満足して、ブログの存在自体を忘れてしまったことすらある。しばらくして、ふと、ああそういえばブログ始めたんだっけか、と思い出したのだが、あれは何ともいえない気持ちであった。三日坊主以前の問題である。
では、どうして物の見事にすべてを放り出してしまったのだろうか。そんなのは性格だという一言で片付けてしまっては元の子もないので、少し考えてみたい。
情熱は、初期段階がもっともつよいもの
先程、何事も初期衝動がもっともエネルギーがあるのではないかという話を書いたが、いままでのブログ作成暦を振り返ってそのことを考えてみると、いままでの無料ブログの数々は、ブログを作るということ自体が目的で、それを用いて何かをしたいという欲求が、ほとんどなかったのだと思う。つまり、最初の行動でその欲求を解決・解放してしまった、ということである。
それに対して、今回は律儀にこうして記事を投稿している。それも決して短くはない分量をである。いままでの自分からしてみると、よくもこんなに続くもんだというのが偽らざる心境であるのだが、これは、今回わたしを突き動かしているものが、ただブログを作り上げることではなくて、ブログを使って自己表現をし続ける、ということがその主たる目的だからである。
目標は大きいほうがいい!
要するに、続けていくというのが、今回の根源欲求なのである。記事に厚みを持たせて、自分の空間を作り上げる。今回わたしが求めているのは、そういうことだ。
そのように考えると、ブログを開設してたった1週間といういまの時点というのは、まだまだ初期段階なのである。それゆえ、こうも熱き思いをもってブログに取り組んでいるのであろう。今回は目標が大きいのだ。それゆえ、まだまだ初期の興奮状態がいまだ持続しているのだろう。
よく、目標は大きいほうがいいというが、いまのわたしには、その言葉の意味がよくわかる。要するに、情熱が長く続く分だけ、願望を達成する可能性が増すのであろう。目標は大きく。何を取り組むにも、そう思っていくのがいいようである。