本に関する本を読むのが好きだ。特に、こころからの愛書家が、とっくりと本にまつわる話をしているものがいい。本書『楽しい読書生活』は、まさにそのような内容になっている。
読書とネット、食べ物とサプリメント
ひとは、なぜ本を読むのだろうか。あるいは、なぜ、本を読むことが奨励されるのか。メディアが限られていた昔ならいざ知らず、いまはインターネットがある。ただ情報を入手するだけならば、そっちのほうがずっと早い。それにもかかわらず、本を読みなさいといわれるのは、なぜだろうか。
著者は読書とネットを、それぞれを食べ物とサプリメントにたとえて説明する。栄養を補給するだけならば、確かにサプリメントのほうが効率的だし、手軽にすむ。だが、味気ないのはいなめない。料理は手間暇がかかるが見た目や匂いなど、栄養以外の面でもわたしたちを楽しませる。食べている時間そのものが豊かな経験であるのだ。
著者は、情報収集に関しても同じことがいえると訴えるのだ。つまり、本は「いろいろな食材を使用して、作り手が腕によりをかけて調理された料理」と同じなのである。読書とは、存分にその内容を味わい、満足感を得ながら情報に接し、楽しむ時間なのである。この対比こそが、読書とネットの違いである。要するに、読書は楽しく、喜びにあふれた行為であるのだ。
人間は、言語によって時空間を越える魂そのもの
豊かな知識と教養に裏打ちされた著者らしく、本書にはさまざまな示唆に富む言葉であふれているが、わたしがもっともこころ惹かれたのは、「人間は、言語によって、時空間を越えることが出来る」という話であった。過去に書かれたものであっても、それが読まれるた瞬間、書き手の意思がよみがえるのだ。また読む者は、今ここという場所や時間から、遠い過去へとアクセスすることができるのだ。
人間を人間たらしめているのは言語であるというのは、よく言われることであるが、著者は「魂は、言語によって生まれた」と述べる。まことに、こころ惹かれる説である。
本はなくならない
時代の移り変わりは、メディアの移り変わりともいえる。インターネットの出現で、出版は岐路に立たされているのは確かな現実だろう。だが、このまま完全になくなるということはないと、わたしは考える。かつてテレビが出現して、映画はもうだめだといわれた。確かに名画座などを中心に、おおくの映画館が閉鎖されてしまったが、映画そのものは、まだまだ魅力的なエンターテイメントとして、人々を魅了する。本も同じだと思う。かつてと同じようにはいかないだろうが、これから先も、これまでと同じように、人類は本とともに歩むだろう。なぜなら、わたしたちには、魂があるからである。