柳沢吉保という名前を聞いて、皆さんはどういうイメージを思い浮かべるだろうか。
おおむね良いイメージでは無いだろう。
江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の側近として、政治手段の決定権のすべてを担い、権謀術数をめぐらして、長期間その地位を保ち続けた、怜悧な官僚といったイメージで捉えられているのではないだろうか。
著者は、こうしたイメージは創作によるものであると、思い切ったことを言う。
一次資料を調べ上げ、柳沢吉保の実像に迫るのである。
一般的に、柳沢吉保は「側用人」という肩書とセットで語られることが多い。
しかし、そもそも柳沢吉保は「側用人」ではなかった、というセンセーショナルな説を打ち立てている。
「側用人」という役職は、徳川吉宗の時代の前後で大きく異なるという。
吉宗以降の時代では「側用人」といえば「老中」へと昇進していくための幕府官僚組織における要職の一つとして位置付けられる。
しかし、吉宗以前の「側用人」は、将軍個人の人間関係に立脚した、極めて曖昧な位置付けであり、幕府組織の一部として制度化されたものではなかったのである。
柳沢吉保の時代には、「側用人」というのは、将軍との信頼関係によって成立した特異な立場であり、こうした事情もあって、柳沢吉保の実像を、ますますファジーなものに仕立て上げてしまったのである。
実際、柳沢吉保が権勢を振るったのは、将軍の執務、生活空間である「奥」の場においてであり、そうした力は将軍権力を背景としていたわけで、吉保自身の力は限定されたものだった。
例えば、柳沢吉保といえば、「忠臣蔵」で、浅野内匠頭及び四十七士を切腹に追い込んだかのように描かれることが多いが、一次史料において、そうした事実を示すものはない。
これは、後世の創作家によるイマジネーションの産物と言うことができよう。
いかに、柳沢吉保の実像が曖昧なものであるのかを、指し示すエピソードだと思う。
近年、ドラマでは、吉保の配役として、イケメンの俳優が当てられる事が多くなったという。
こうした事も、柳沢吉保のイメージを変えてゆくのにいくらかの影響はあるだろう。
柳沢吉保に興味を持った方には是非読んでもらいたい一冊である。