『明仁天皇と平和主義』斉藤利彦/著

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著者は、これまで、近代日本における青年の自己形成というテーマに基づく論考を重ねてきた。
本書は、近代日本の青年が直面せざるを得なかった「天皇制」の、まさに中枢に生を受けた少年が、戦前から戦後へという時代の様々な局面と対峙し、苦悩と模索の中で、「象徴天皇」としての現実と行動を実現していく、その歩みを考察したものである。

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天皇制とは、そもそも天皇個人としての存在と、制度との不即不離な関係のもとに成立する特異な制度である以上、個人としての天皇を論じるのは不可能であるとも言える。

しかし、こうした問いに対して著者はこう答える。

《明仁天皇は一人の人間である以上、自己の魂と身体をもって成長していく固有の存在である。
それ故、逆に制度との拮抗という関係の中で、天皇という存在の内実を自ら創り出していくほかはなかったのである。》

著者が試みるのは、明仁天皇の自己形成の過程を捉えることと、その帰結として、今日を生きる象徴天皇の肖像を描き出すことである。

本書は大きく分けて二つの部分から成り立っている。
「明仁天皇の自己形成」と、「今日を生きる象徴天皇の肖像」それぞれの分析である。

前半部分では、明仁天皇の少年時代のエピソードが余すところ無く、記されている。
魚類の研究でも知られる明仁天皇だが、小学生の頃に書かれた作文を見ると、当時から生物に関心があったことが分かる。
また、学習院の行事である沼津での遠泳大会では、赤フン一丁で見事に1キロ、2キロと泳いでいく姿が、当時の同級生たちの目を通して語られている。

戦後になると、ヴァイニング夫人や小泉信三の教育を受けて、成長していく明仁天皇だが、美智子皇后というパートナーを得るところで、著者による「明仁天皇の自己形成」の分析は終わる。

後半部分では、現在の明仁天皇の発言や公務の中から、明仁天皇が創り出した「象徴天皇」像を明らかにしていく。

戦前における天皇制と、戦後における天皇制は大きく異なっている。
明仁天皇のこの言葉が、それを示していると思う。

平成元年8月8日の天皇即位の記者会見での記者とのやり取りである。
「天皇制、とりわけ戦争責任については、自由な論議が封じられる風潮があります。天皇制をめぐる言論の自由については、どの様にお考えでしょうか」
と、問われ、
「言論の自由が保たれるということは、民主主義の基礎であり大変大切なことと思っております」と答えた。
記者がさらに
「今、おっしゃった言論の自由という観点から、戦争責任について論じたり、あるいは天皇制の是非を論じたりするものも含んでいるというふうにお考えでしょうか」
と問うと、
「そういうものも含まれております」と明言している。

このように明仁天皇は、言論の自由を重視し、その侵害に結びつく何らかの強制や抑圧をともなう「権力性」を否定しているのである。

こうした発言は、戦前の日本や、王政を持つ諸外国では考えられない事だと思う。
元首である天皇自らが、自身の存在理由である制度それ自体についての批判すらも、認めているのである。

現代日本における天皇制の特異な性質と、さらに明仁天皇個人の模索した天皇像、こうしたものは、しっかりと理解しておく必要があると思う。

テレビのニュースなどでは、不自然なまでの敬語、丁寧語で装飾された形で、報じられる皇室関係の話題だが、本書は、明仁天皇という人格に焦点をあてているので、過剰な敬語や丁寧語は見出せない。

明仁天皇がどういう方なのか、知っておきたい人には是非読んでほしい一冊である。

明仁天皇と平和主義〈電子書籍Kindle版もあります〉
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