まず著者は、わたしたちは時間がないのではなくて、単に時間を上手に使えないのではないかという観点から、今日のわたしたちの生活をあらいだす。その一例として、情報収集の手段の増加が挙げられている。要するに、流通する情報量が増えて、それらをチェックする時間が増えてしまったがために、どんどん時間がなくなっているのだと書く。
ソーシャルメディアとスマホの登場で時間が無駄に?
この本は2005年に出版された本であるが、新しい情報メディアとしてメルマガやブログがとりあげられている。時をへた現在では、これらにくわえてさらにtwitter、FACEBOOK、LINE、Instagramなどが加わってくる。まさにてんてこ舞いである。
しかもスマートフォンの出現で、いつでもどこでも、文字通りの常時アクセスが可能になったので、気がつけばあっと時間など消えてなくなってしまう。わたしたちの時間に対するスタンスは、よりシビアになっているといわざるを得ない。
時間の本質、そして時間管理の方法とは
では、どうすればいいのだろうか。著者は、自らが主体性をもって、物事をコントロールしていくしかないと述べる。コントロールする対象は家事や仕事、あるいは自分自身という存在そのものとも言えるが、しっかりと自らが手綱を握ることで、大切な時間という暴れ馬を乗りこなしていくことが大切なのである。
さて、このような主張は、「よく聞く話」である。だが、本書はそれだけではない。著者は、時間とは命そのものであるという、どきっとするようなことを書いているのだ。「おんぎゃーと生まれてきたときに、命の時限爆弾のスイッチを押してしまう」のが、わたしたちという存在であると書きつけるのだ。要するに、わたしたちが漠然と過ごしている時間は、その分だけ持って生まれた命をすりへらしていることにほかならないと主張するのである。
時間どろぼうは最大の罪
そのように考えると、ひとの時間を奪うことは、ひとの命をないがしろにすることにつながる。平気で遅刻をしてきたり、仕事を遅延させるような人は、みんなの命を蹂躙する存在であるのだ。待ち合わせの際に30分近く遅れて、片手拝みでぺこぺこしながらやってくる人がいるが、こんなことは問題外。そのような人とは付き合わないに限る。
本書はスケジューリングや人付き合いの仕方など、普通の項目立てがメインとなっていて、それらも十分に示唆に富むものであるが、この「時間こそが命」という指摘こそが、本書のもっとも重みのある言葉だと思う。このことが記述されている部分はけっして多くはないのだが、わたしはその箇所をもっとも興味深く読んだ。
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