『学校の戦後史』というタイトルがつけられているが、読んでみると、良い意味で期待を裏切られるだろう。
というのは、第一章がまるまる戦前の教育制度についての説明に割かれているからだ。
したがって、全体を通して読むと、日本の近代教育史をまるごと理解できる代物に仕上がっている。
第一章では、西洋式の近代教育が取り入れられた明治初期から、終戦にいたるまでの期間における、教育の展開を論じたものになっていて、第二章では、戦後の学制改革から高度経済成長前までの教育史の解説がなされている。
第三章では、高度経済成長期に、変化する社会のなかで、どのように学校が位置づけられたのかを明らかにし、第四章では、現在の学校教育を取り巻く問題を論述している。
学校教育とは、歴史の浅いものである
本書を読んで感じたのは、学校教育というものが決して自明のものではない、ということだ。
現在では、学校に通うこと、というのは当たり前のことであると考えられている。
しかし、こうした考えが一般に浸透するのは、1930年代からであり、戦後の1950年代になっても、こうした考えに馴染めない人たちは多く存在したのである。
本書が明かすところによれば、1870年代の学校導入の初期には、親にとって大事な働き手である子どもを連れて行かれる上、小学校建築の費用や授業料まで徴収されることに反対して、学校の打ち壊しも起こった、という。
通学・進学と経済的要因の関係
明治中頃までは、小学校の就学率が半分にも満たなかった。
こうした事実は、現代の常識から見ると、不思議に思われるかもしれないが、当時の社会的、経済的要因をよく考えると、合点がいく。
明治時代の日本社会においては、現代のようなサラリーマン家庭というのは都市部にしか存在しなかった。多くは農業か商業に従事していたのである。農業や商業を家業とする家庭においては、子どもは、家の手伝いをする重要な労働力として見なされていたのだ。子どもが学校に行くとなれば、働き手を失うわけであるから、親が戸惑うのは当然である。
交通網の発達と学校教育の受容
また、当時は現代のようにどんな地域にも多くの学校があったわけでもないし、交通網が発展していなかった。文字通り、家から学校まで行くのに徒歩で何時間もかかった、などという時代である。そんな環境であったら、登校するだけで、疲れてしまうだろう。
そうした時代状況を考慮すると、学校教育が受容されるのには、ある程度、社会的基盤、経済的基盤というのが必要なのが理解できる。そのような環境は、1930年代になってようやく整うこととなり、一般に学校教育というものが広く受容され、「子どもが学校に行く」ということが常識になるのである。
日々変化していく学校教育の概要をおさえるには最適の一冊
本書は、社会に学校が受容されてからの展開についても、当然詳しく述べられている。
経済成長にともない教育が大衆化していく過程で生じてくる登校拒否などのさまざまな問題や、新自由主義による教育への侵食など、一冊で現代の教育問題を網羅していると言えるだろう。