『コウノドリ』鈴ノ木ユウ/著 感想 レビュー
わたしたちの社会は、さまざまなものが目に見えなくなっている。
いわゆる「ふつう」や「平常」と思われるものだけが、可視化されているのである。
たとえば、老人や病人といった存在はどうだろう。
この社会は、多くの老人や病人を抱えているのに、毎日の出勤時やオフィス街といった「ふつうのひとたちの日常」のなかで、彼らの姿を目にすることはない。
何故なら、病院や自宅にいるからである。
フーコーではないが、「ふつう」でないものを「閉じ込めてしまう」ことによって、この社会は動いている。
これは、出産に関しても同じことがいえる。
わたしたちは、出産に対して、一体何を知っているだろうか。
子どもが少なくなったとはいえ多くの新しい命が生まれているのに、その具体的な現場は、あたかも遠い何処かの出来事のようである。
自身や配偶者、あるいは娘といったように、身内がお産をするといった時しか、それを意識しないで暮らしている。
だが、出産は人類という種の存続そのものに関わる行為なのである。
そう考えると、普段わたしたちが行なっている経済活動なんかよりも、ずっと大切なものであることがわかる。
出産にまつわるさまざまなエピソードが
この世界を形づくるあらゆることを分析し、理解するのが人間である。
だったら、出産についてもその実態や、それを取り巻く状況を知らなければならない。
だが、自身が出産に関わるのは人生でほんの数回あるかないかであるし、かといって、まさか人様がお産するところを見せてもらうわけにもいかない。
では、どうすればいいのか。
そういうときこそ、本から学ぶのである。
特に本書「コウノドリ」は、出産に関わる状況をマンガで伝える、貴重な作品となっている。
この「コウノドリ」で描かれているのは、困難な状況が中心となっている。
さまざまな事情を持った妊婦が、次々と駆け込んでくる。
冒頭で述べたように、この社会は「ふつう」しか、目に見えないように出来ているが、本書は「ふつう」ではない状況に置かれた母子の姿が次々に描かれる。
例えば、未受診妊婦という存在である。
文字通り、受診をしていない妊婦という意味だが、彼女たちはさまざまな事情があって、妊娠しているにも関わらず、一回も病院へいくことなく臨月を迎え、出産にいたるのだという。
彼女たちのような存在は、社会からは隠されているが、確実に存在することは確かである。
本書ではこのような、出産をとりまくさまざまな事例が描かれているのだ。
このマンガを読むと、出産という行為が命がけで行われるものであるということが、いまさらながらよくわかる。
まさに体を引き裂くようにして、新しい命を生み出すのである。
医療技術が発達している現在ならば、いざという事態にも対応できるが、そのようなものがなかった時代は、多くの妊婦が犠牲になったのだろう。
そう思うと、世のお母さんたちが、どうしてあんなにも子どもを可愛がるのかがよくわかる。
FACEBOOKのタイムラインや毎年の年賀状が子どもの写真で埋まってしまうのは、仕方がないことなのかもしれない。