戦国時代を舞台にしたドラマや映画を観ていると、合戦シーンで「鶴翼の陣」とか「車懸りの陣」といった陣形が出てくる。
陣形とは、将棋に例えれば「戦法」や「囲い」といったところだろうか。要するに、自らの軍の大将をがっちりと防御し、敵から守りながら効率よく攻め込むためのフォーメーションのことである。本書は日本における陣形の変遷史をたどる、類書のないものとなっている。
武田信玄相手に奮戦した陣形「五段隊形」
本書は、軍制や陣形の歴史といったものに関して深く律令制時代にまで遡り、順に解説をくわえていく。もっとも、本書において情熱をもって書かれているのはそのタイトルにもなっている戦国時代であるが、著者によると、この戦国時代こそ、陣形の変遷を追っていく上で革命的な変化が生じた時期であるのだというのだ。
以下、具体的な例をあげる。北信濃の戦国大名・村上義清によって「五段隊形」という陣形が考案されたのだ。これが、まことに画期的な陣形だったのである。
「五段隊形」とは、旗隊・弓隊・鉄砲隊・長柄隊・騎兵隊などの兵種別に分かれた諸隊を統合させた陣形である。村上義清は、これによって武田信玄相手に奮戦したのだ。
模倣されていく陣形
そして、ここからが歴史のロマンを感じさせるところとなる。この陣形は上杉謙信に受け継がれ、謙信は「五段隊形」を常用するようになったのである。そうなると、戦う相手もまた、それを見て学び、自らの軍に取り入れることになる。やがては謙信に対抗するために武田氏と北条氏がこれを取り入れこの陣形はさらなる発展を遂げていき、さらには豊臣秀吉の天下統一によって、日本全土に広まることになったのである。
だが、話はそれだけでは終わらないのが、歴史の面白さである。秀吉は「文禄・慶長の役」において朝鮮を攻めたが、この陣形はそこでも大いに力を発揮し、恐れられたのである。その後、攻撃を受けた朝鮮においてもこの隊形が模倣されるようになり、列島のかなたへと伝わることとなり、さらには17世紀頃になると、ヨーロッパにおいても類似する陣形が見られるようになるというから驚きである。
戦国時代の合戦の実際
また、本書では、わたしたち現代人が一般的に抱く戦国時代像が実際のそれと異なっていることも指摘する。著者によれば、戦国時代の合戦において実際に張られたそれと現在において語り継がれているものとは、かなり異なっているという。
具体的な例をあげると、「鶴翼の陣」とか「魚鱗の陣」などといったものは、実際には戦国時代には使われていなかったというのである。著者はこれらの陣形は江戸時代の兵法と講談などの創作物によって戦国時代の合戦の実像が歪められたものであると述べる。
現場をわかっていない江戸時代の軍学者たち
では、なぜそのようなことが起こったのか。原因は、江戸時代において、合戦がまるでなかったからである。江戸時代の兵法は、きわめて理論的なものであるが、何事においても現場から離れた場所においては、極度に理論に走る傾向になるのが人間の常である。いうなれば、実地経験がない者が理想を追うばかりであるため、いきおい頭でっかちのものになるのである。それゆえ江戸時代の軍学者たちの唱える兵法は空疎で理論的なものばかりであり、実戦ではほとんど用いられないものばかりだったというわけである。
本書においては、川中島の戦いや三方ヶ原の戦い、さらには関ヶ原の合戦などにおいて、実際の陣形がどのようなものだったのかについても通説を覆した分析をおこなっており、こちらも読みどころとなっている。戦国時代に関心をもつ人には、必読の一冊となっている。
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